創作でお金を稼がないといけない人は大変だな、と思いました。
ただ絵にしろ文章にしろ、AIで代替出来るものと出来ないものがあって、仕事にするなら代替できない方向を目指さないといけないのは窮屈だな……とは思いますが。
あるいは、行くとこまで行ったらイラスト単体には価値がなくなるのかしら、とは思う。それでも物語の価値がなくなるとは思わないので、漫画や小説はAIがどれだけ発展しても人間が創らなきゃいけないものだとは思いますよ。あとはゲームも。
AIの生成物に意味なんてないのですが、ただ「それでいい」人っていうのは結構いて、それが多数派なんですよね。どれだけ美麗な画像が生成できるとはいえ私は自分で描いたほうがマシだと思っているんですが、世間的にそうじゃないってことは、それを仕事にするならそういう層に対応しないといけない世知辛さがあり、やっぱ評価主義の世界だなぁと。理念だけでやってくなら趣味に留めるのがいいんだろうなぁと。
インターネットが私たちの遊び場から現実の延長線に変わった時、さまざまな敷居が下がり、ピンもキリも有象も無象も流入してきたわけですが、じゃあ何から何までお膳立てされた空間でしか生きられない人々がMisskeyとかそういう場所までくるの? というと、そんなことはない気がする。
いいねとリツイートがない時代のSNSには「あしあと機能」というのがありました。自分だけにしか見えませんが、ページを訪問してくれた人がわかったんですね。
当時はブログ全盛期、眞鍋かおりや中川翔子がガラケーでブログを書き散らしていた時代ですから、もちろん今みたいな短文でポイポイって感じでもないかと思いきやそうでもない。1日に何度も日記を更新してアクセス数を稼いでいたんですね。
昔のブログが大量に改行されているのも、ページを分割してPV数を稼ぐためだったんですよ。
現代のSNSと大きく違うのは、フォローではなく「フレンド機能」が主流だったこと。承認されないと交流することができなかったんですね。
フレンドを増やすにも、あしあとから訪ねてみたり、友人の日記のコメント欄やMisskeyのチャンネル機能のような「コミュニティ」から、趣味の合いそうな人を探すなど、能動的に行かないと友達は増えませんでした。
まぁここまで説明してわかる通り、TwitterやMisskeyに比べれば閉鎖的で村社会的です。田舎の学生がヒエラルキーをそのままインターネットに持ち込むのに最適でした。そうして放課後も怠惰に過ごすと。
ご飯は私を裏切らない、というGODLIKE漫画があります。2話がホットチョコレートにマシュマロを浮かべるやつの回なのでぜひ読んでください。
https://web-ace.jp/youngaceup/contents/1000121/episode/3580/
ご飯は私を裏切らないという漫画は、日々不安に包まれながらバイトで食いつないでいるアラサー女子が、厳格を振り払いながらはてな匿名ダイアリーをやる……みたいな漫画です。グルメ漫画です。
https://web-ace.jp/youngaceup/contents/1000121/episode/3538/
すごくいいので読んでください。
トンチキメンバーでTRPGをやっているので、知の試練と称してチャット欄に雀魂のURLが貼られる、クエストに失敗した結果美術品の修復に失敗して観光地になる、崖から落ちながら場所替えの杖を振ったらラスボスが落下死した、などのトンチキシナリオがありました。
PLもPLで、道端で買ったソフトクリームを清掃人に投げつける、射的の屋台で有り金全部溶かして冒険者引退、バイクに鎖でソリを結びつけて乗っていたらファンブルして生死判定、みたいなトンチキロールプレイを重ねています。